昔の絵描きは途方もない

私は今朝、荒れていた。

生理が近いのか、イライラしていた。

「何故、私にはパトロンがいないの!?」




パトロンとは、俗社会に言うパトロンとほぼ意味は同じだが、絵描きのいうそれは、「生活の全てを支えてやるから、良い絵を描きなさい。そして、私の肖像画もお描きなさい。」という感じで、支援することだ。


昔の絵描きは、働かない。絵を描くことしかしない。それが最もステイタスだった。

そのようになるには、ものごっつい栄えた貴族のようなお金持ちに絵の腕を認められることだ。

なぜそのようなパトロンが必要だったかというと、一枚の絵を描くことが途方もなかったから。

絵の具、どうしていた?

そう、石を潰して、油で解いて……

キャンバスは?

そう、布を張って、膠を塗って……

めっちゃ時間かかる!!

そんなの、絵のことと、絵の準備してたら、ほかの仕事なんてできない。

哲学的なこと考えてたら、働けない。

絵描きはプータローであることに誇りを持っていた。それだけ自分の絵に価値があるということだから。

ルネサンス期で、一番有名なパトロンは、メディチ家。後に、ローマ教皇や、フランス王妃などを排出する、超名門一族だ。

↑メディチ家の一番のイケメン、ジュリアーノ・デ・メディチ



レオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロ、ボッティチェリなど、名だたる芸術家たちを多く支援していた。

↑レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」


ものごっつい、ものごっついお金持ちだ。

絵描きにとって、メディチ家のお墨付きがあれば怖いもの無しであったし、一族にとっても、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロをお抱えしているというのは、かなりの自慢でもあった。


絵描きとパトロンの関係がなかったら、今の世に名作は残されていなかったかもしれない。

時代は流れ、技術が発達すると、途方もなかった絵描きの作業は短縮される。さらに、写真が登場すると、主な仕事が肖像画描きだった絵描きは職を失う。

絵描きの興味は多様化した。立場も多様化した。

サラリーマンをしながら絵を描いたルネ・マグリット。

金持ちのピカソに、貧乏なゴッホ。


↑ルネ・マグリット「ピレネの城」


絵描きにとって途方もない時代から、なんでもありの時代になった。

今の絵描きなら、パトロン探しもいいけれど、SNSもブログも操り、Valuもちゃっかりやってる。

美術史はこう変わっていくと面白い。


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