それは「鉛筆画」と名乗った、写真の代用品

こんにちは。

湿気により髪の毛のボリュームがすごい、
Mayuです。

昨日、図書館で、世界の素描という本を見つけて、巨匠達の作品に驚かされました。

「めっちゃ手数が少ない…」

少ない手数で、それを感じさせる絵を描く。

例えば、寝そべった裸婦の腰から尻にかけての曲線1本の強弱で、人体と空気の境目、裸婦の肌の柔らかさ、筋肉と骨の構造、全てを感じさせるのです。

同時に、ファッションスナップという分厚い写真集も見ました。年代別のファッションアイコンが当時の一番オシャレな1枚として掲載されています。

やはり、一枚の写真は、情報量では一枚の絵を上回ります。


写真を細部まで見ると、当時の流行りがよく分かりますね。


しかしながら、写真で見る当時の最先端は、今はとてもダサく感じますが…(笑)

絵と写真の関係は無いように思われるでしょうが、写真の登場で、画家たちは、パトロンである貴族たちの肖像画を描くという職を失ったのです。

この2冊を読みながら思い浮かんだのが、SNSに溢れる、鉛筆で描かれた有名人の似顔絵です。写真のように忠実に描かれたものから、そもそも似てないだろってなるものまで様々ですが、一様に「鉛筆画」と銘打ってあります。


そもそもそういう絵って描く意味あるの?

写真で良いじゃないですか。

「どやー!そっくりやろー!」

って言いたいだけじゃないですか。

あなたの手と脳のフィルターを通して1枚の絵にするのであれば、わざわざ写真のように描く必要性が全くないのです。

1本の線に、その黒に、その紙の白に、あなたの表現したいものを込めて、見る人に感じさせること。それこそが絵描きに必要なことではありませんか?

歴史の中で、一度は絵描きたちの仕事に取って代わった写真。その写真の代用品としてしか価値のない絵を描くのは辞めにしませんか?

有名人などの流行写真の代用品でしかない絵は、時代を経れば必ずダサくなります。

いや、そういう絵は現時点でも充分ダサいですけどね。


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