Mayu

絵描きです。鉛筆画を主に描いています。

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恐ろしく平等という話

昨日の朝、出勤する時にゴキブリが駐車場の脇に死んでいて、蟻が集っているのを横目で見て通り過ぎた。あのゴキブリは、暑くなってきて湿った前日の夜にアスファルトの上を徘徊していた、何匹かの中の一匹だ。息子たちと、クワガタが飛んできていないかと街灯の下を確認して回っていたのだ。暗い地面に黒いつやつやしたものが動いていて、とっさに「あ、クワガタ!?」と近づいて光を当てるとなんと大きなゴキブリ。みんなで「うわ!」と言って跳ね退く。そう。死んでいたのは、あの、嫌われ者のゴキブリだった。出勤のため、運転しながらしばしぼーっと考えていた。「嫌われ者」と言っても人間が嫌っているだけだ。死骸になったらそれを有難く小さな虫や微生物達が食べて、土に還す。どの微生物も「うわ!」などと思っていない。そして、ゴキブリを差別視する我々も、死骸になれば、洒落くさって火葬などにしない限り、小さな虫や微生物達が分解して土に還す。ゴキブリと同じ終末を辿る。どれだけ着飾ろうが、良い車に乗ろうが、病弱であろうが、国を治めようが……。平等の死を迎える。今朝。また同じ場所を通る。例のゴキブリの死骸は、蟻によってほとんどが持ち去られ、脚と頭だけが残されていた。この恐ろしいほどの平等の中で、私達はどう生きるか。

なんか違う、あの「絵」たちの嘆き

一応、絵描きとして活動しつつ、Twitter仲良くしてもらってる方々のビジネス等の方にも興味を持ち、影響を受ける私のTLは日々カオスです。で、その中でも最近、確実に絵描きさんではない方面からのみ、TLに流れてくる絵があります。今日はそれについて話をします。ビジネス界隈の人が描く絵なんてあまり興味もなく、批判する時間も勿体ない気がしてフォローもしてませんが、たまにどうしても目に入るんですよね。また、「絵を描くのなんて自由なんだから好きにさせてやれ」って気持ちもどこかにはあるので、「関与しない」スタイルがいいのかなーと思ってました。実際、ほんとに本気で芸術活動をしている絵描きさんの人達の所までは、彼らが描いた「絵」など届いてもないと思うので、気にもしてないと思います。だけど、なんかみんな好き好んで絵を描きやがります。絵や壺(笑)などの美術品は高価でも仕方ないって、誰しもが心のどこかで思ってるから、価値を作りやすいんじゃないですかね。それも、絵なんて興味なかったやろ?図工も嫌いやったやろ?みたいな人が突然描き出すんですよね。それが、あの私のTLにときおり流れてくる、絵達なのです。「大した技術も、センスもあるわけでない。(こんなのは絵を描いてるか、本物見たことある人ならすぐわかる)なのになんでこんな話題になってんの?」って作者のアカウント見に行くと、だいたいがなんか尖ったこと言って炎上して、フォロワーが多くて、顔がドヤ顔。「ああ、またか」って思いますよね。話題性のある人が、お得意の口八丁で自分の絵がええようなことを言うと、やっぱりわからんちんの人が「良い」ような気がしてきて、「素晴らしい!」とかって言うてしまいます。これ、フォロワーが多い人のわけわからん発言も、「おっしゃるとおりです」とか「勉強になります!」とか言うてしまうのと一緒なんです。よく見てください。めっちゃへたっぴですよ。筆もまともに使えてません。画材もよく分かってません。私達は、悲しいかな義務教育の道徳で、ひたすらに他人の創作物はを馬鹿にしたらいけないと習い続けてしまっているので、へたっぴだなぁ……と思っても頑張って良いところを探してしまうんです。でも、よく見てください。めっちゃ、めっちゃへたっぴですよ。私達が、ひたすらに道徳で馬鹿にしたらいけないと教えられたのは、子どもの時のお友達の話です。器用にビジネスまでやってる、一人前の大人への話ちゃいます。「下手くそだったら恥ずかしいからもっと練習しよ。」ってなるのがわりと普通の一人前の大人です。だって職場で文章が下手くそだったら、めっちゃ直されますし。直されたらやっぱり恥ずかしいですやん。なのに、恥部をさらけ出してるんですよ。どう考えても大人としておかしい。しかも、ご丁寧に金取ってますよ。価値の感じ方は人それぞれで、何にお金を払おうが自由です。ただ、その双方の活動を見て、人がどう思おうとそれも自由なんですよ。アートや芸術がきちんと理解出来る人達から見たら、だいぶヤバい活動です。ヤバい人達だね……って思われるのも仕方ないんですよ。それが現実ですから。クチャクチャの絵をやり取りして盛り上がって、祭りのような感じで楽しむならそれも良しですが、その後には何も残りません。よく分かってる人々からの冷たい視線が残るだけです。ここまでなら自己責任ですけど、これから絵描きさんの道を通るかもしれないキッズ達には迷惑かからないようにして欲しいですね。まだ見る技術が育ってませんから。ここは、周りの大人が気をつけて導いてあげて欲しいですね。この最後の部分が、私にこの文章を書かせた一番の動機ですけど、文章の大半が「なんか違う絵を描く大人」と「それを良しとする大人」へ向けられています。でも、しゃーないですよね、どう見ても滑稽ですから。絵自体には罪はないけれど、それを取り巻く活動には大人としての責任が伴う。私はそう思いますよ。

賢い子どもへのお説教

賢い子どもは聞き分けが良いか。答えはNoだ。聞き分けが良い子はただ聞き分けが良いってだけで、考えてないか、人に合わせられるか、こっちのことを怖いと思ってるか、のどれか。賢い子どもほど、「なんで?」「違うそうじゃない」「俺だけじゃない」などなど様々な言い訳や口ごたえをしてくる。しかも個性がそれぞれにあってめっちゃ面白い。まずはその言い訳を存分に楽しんで頂いてからのお説教タイムです。お怒りの大人の皆さんは是非、これを読んで試していただきたい。①大人の見解や言いぶんは最初に言わない。②なぜその悪さをしたのか聞く。③それをやって良かったかどうか聞く。④本当はどうしたかったか、どうすれば良かったか聞く。⑤相手の個性を自分が見たとき、こういう部分がある。それをどう生かしたら、こういう風な行動が出来るんじゃない?っていう提案をする。大人が行動を正しても、本人は「分かった」って言うだけで、分かってません。嘘に決まっとるやん。自分は子どもの時分かってたか?分かってなかったやろ?せやろ?本人が導き出す言葉を自分で言うことで、自分の脳みそに(微々たるものやけどちょっとはもしかしたら)入る。それが狙いです。そんな問答を相手としてたらこっちも腹も立たんし、一石二鳥。一呼吸おいて、ちょっと落ち着いてからやって味噌♪子どもとの関係性、されど人間関係。人と人。手の上で転がすのが目的ではなく、自分で責任をもって答えを出すことの大切さを教えたい。「あの人がこう言ったから」っていう言い訳を大人になってもして欲しくない。その思いで、子どもと関わっている。

右脳左脳ポエム

右脳思考とか左脳思考とか、そういうの今回は真剣に考えてみる?そうする?そもそも、原始的な暮らしをしていた私たちなら、「嵐が来るかもしれん。今日のうちに狩りしとこ。狩りが上手く行くためにはこの矢じりよね。」って感じで、右脳と左脳はバランスよく作動してたはず。バランスよく作動してる人ほど、多分うまく生存出来たはず。脳の作動の仕方に偏りがある人にスポットが当たりだしたのはいつだったのだろう。「この分野なら、こいつに頼めば大体上手くいく」こういう考え方ができ始めてから、「外注」する文化が出来てきたはずだ。ということは、文化的な生活をすればするほど、偏りは許される。偏りがあっても、生き残れるということ。多様性が認められるということは、文化、教育が進んでいるということだな。「自分はこういうタイプ♡」なんていうタイプを分別する楽しみを得られるのは、文化的な生活をしているという証。話はもどって、左脳思考とされる人が右脳思考を取り入れる試みをする、というのは、より人間が自然的に生きることに価値を見出しているということでもあると思う。人間が自然的に生きることは、生きることと死ぬことの間にある。常に、生と死を意識する生き方。死は「限界を迎えた時」に訪れる。原始的な暮らしをしていた人間の、未来を変える新しい発想も「限界を超える一瞬」に生まれたはず。ただ、上手く生き抜いていくなら、右脳と左脳をバランスよく使っている人がいい。でも、未来を変えるめちゃくちゃ新しい発想を生み出すならば、まずは大々的に右脳だの左脳だの、どっちかに偏っててそっからバランスを取るのがいいんだろな。文化的な生活を最大限活用して、大いに偏ろうぜ若者達よ。そして、バランスという化学反応で、未来を動かしていこ。そうしよ?

絵を描き続けるたまたまあった3つの理由

先日、「まゆさんはなぜ絵を描き続けるんですか?」という質問を頂きました。巨匠でもないので、そんな質問していただいて恐縮なのですが、何故だろうと真剣に考えてみました。1つ目の理由20代くらいの時はもう少しイキがって、「混沌の中から無限に描きたいものが溢れてくる」みたいな訳の分からんことを言っていたような気がしますが、今は描き続ける理由も人との関係の中にある気がします。精神の奥底から湧き出るような絵もありつつ、人に依頼された絵、喜ばせるために描いてあげた絵も良いバランスで存在したために、自然に続けることができた。ということです。2つ目の理由もう一つは、得意分野であり、好きなことであるため、自己承認欲求を満たすためのものとして続けざるを得なかった、ということ。「祈りを込めて」という言葉をよく使うのですが、自分への祈りと見る人への祈りです。「どうか救われますように……」という。今でこそメンタルに関しては人一倍強いという自負がありますが、3年くらい前まではメンタルがぐじゅぐじゅの最悪の状態でした。なので、絵に自分を救わせていたのですね。3つ目の理由そして、最後の理由は、今まで買ってくださった人のために。です。私は自分の絵を、買っていただいた人には資産として持って欲しいのです。そのためには私も名が売れ、絵の価値も高まらなくてはなりません。そのために続けています。もう、簡単には辞められないのです。私の描き続ける理由はこれくらいです。これを読んで下さった皆さんそれぞれにも、今の仕事を続ける理由や、大切なことを辞めない理由が様々あることでしょう。続ける理由をきちんと整理することで、私は初心に戻れたような気がします。まとめ「好きを仕事にする」はインフルエンサーの方達に乱用され(笑)、近頃では一周回って批判されたりバカにされることも増えてきました。しかしながら、誰もが「好き」に向き合う気持ちは生半可なものではなかったと思います。続ける理由をもう一度見直し、それが自分にとっても大切な人達にとっても恥ずかしいものでなかったなら、自信を持って取り組んで下さい。